いのなかとらさん

もう1年ちょっとで三十路の人がふとあの頃を思い出して復活したブログ



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2007年12月22日(Sat)      ■昔のまじめ■

【運のツキ】




「運」というのは、いつか尽きるものだと思うよね。


昔の話。

朝起きたら、体調のほうがすこぶる絶不調。
鼻水は鼻から垂れ流れてくるわ、来るわ。
くっさめは止まらねぇわ。お腹もすねちゃってるわで。

駄目だこりゃ、と思って布団に入ったら、
そのまままた深い眠りにつき、起きて気がつけば12時を過ぎていた。

大学の授業が2つほどあって、
どっちとも出席を取るやつだから、普段は休まず行くんですが、
「たまにゃこんなのもいいっか」と思って、出席点は惜しいけど、
休んじゃえと、休んじゃった。

そしたら、たまたまその2個のうちの1個が、奇跡の休講だった。
もうほんと奇跡としか言いようのないほどの興奮。
何の通達もなくて、教室に行ったら先生が来なくて、
それで教室の中の誰か、世紀末リーダーたけし的存在が、不思議に思って、
それで休講掲示板を見に行く。戻ってきて、
「掲示板に今日の授業、休講って書いてました!!」

ある者は「やったー!帰ろう!」と思うだろうし、
またある者は「ちっくしょう!せっかく早起きして来たのに!」と悔しがるかもしれない、
「じゃあ、おいどんが授業やっちゃうでごわす、な~んてな!」という西郷もいれば、
「おいどんの筆箱、鉛筆削りの機能がついてるんだ~!」という隆盛もいる。






僕はその授業を切って家で寝てたわけです。
大きな大きな出席点に潔く別れを告げ、一人で家で寝てたわけです。

そしたら授業が突然の休講でなくなっていた!

別に出席点も、時間も、無駄な労力も使うことなく、
あたかも休講を知っていたかのように家で悠々と時を過ごしていただけなのに。

教室に早起きして行って、そこで休講を知らされた方々が、
こんな僕に比べると、非常に滑稽でしかたない。
わざわざ教室まで行った方々に申し訳ない、僕は何もしてないのだけど、
本当にこれ、まるで家で寝てることが正解だったかのようなハプニング。

運が非常に良かったんだね。うん、運が、うん。

僕はもう一個の授業も行かなかったけど、そっちはあいにく休講じゃない。
でもそっちの出席点は微々たるもんで、
休講になった方と比べれば天と地ぐらいの差だ。

氷川きよしと北山たけしぐらいの差だ、それは。
なかなかこれはリアルだよ。一見ギャグのように見えて。

運が良かった、予期せぬハプニングで、
まさかの「家で寝ていた」事が正解になった。
これはもう運が良かったからこその、奇跡以外の何者でもない。
ついてたんだよ、僕、ついてたんだ!
ご飯粒だけじゃなくて、運もついてたんだよ!

さてさて、
ほいだけど、喜んでもいられない。

もっともっとスケールの大きな事に僕はこれから苦しめられるのだから。










運

これが何かわかるでしょうか?

この座薬みたいな物体、あなたはなんだと認識しますか?
これは多分人それぞれみんな持ってるものなのではないかと僕は思います。
誰もがきっと目には見えてないだろうけど、
ここの個々の奥のそこの底のとこにあるものだと思いますよ。

容器があって、中に何かが入ってるんですね。
その容器の形もサイズも色も全てが人それぞればらばらでしょうが、
でも容器というものの中に何かが入っている、という関係は、
誰しも共通しているものなのではないかと思いますよ、僕は。





何だと思いますか?

ちなみにこれは僕のです。
僕のこれはもう、中身がほとんどないですね、半分以下です。
このペースだと20年後には空っぽになっているでしょうね。

そう、運です。

僕の運です。
僕が持っている運の絶対量が、これです。
あとちょっとで僕の運はきっと尽きてしまうのではないか、
そういう不安は非常に強くて、日々、ビクビクしています。

お気づきでしょうか?

先ほどの休講がうんぬんの喜びなんてものは、僕の独断と偏見では、
ある意味では、「運」を減らしてしまった、ということになるんです。




運って絶対量ってのが人それぞれあるんだと思うんですよ。
生まれたときからその人が持つ運の量って、既に決まっていて、
人生を毎日朝昼晩と繰り返していく過程で、
ちょっとしたハプニング的ないい事があれば、
運ってちょこっと減っちゃうもんだと思うんですよね。

それこそ宝くじに当たるとか、TOTOBIGに当たるとか、
あまりにも巨大すぎる幸福が当たるなら、運なんてなくなってしまうでしょう。
そういうのは思ったりしませんか?
「宝くじに当たったらきっと、生涯ほかにいい事なんて起きないのかもな」
っていう漠然とした思いって、意外に考えちゃうことってありませんか?
僕は宝くじが怖いです。
ロマンはそこにあって、「当たったら嬉しいなァ、家いっぱい買えちゃう」
だなんて思ってはいても、
実際当たったら、正直、怖い。
そんな大金手にしたら、価値観も全て変ってしまって、
人が生きていくためにやらなきゃいけないことまで、やらなくてよくなって、
僕はダメになっちゃう。

運が尽きて、もう全てが駄目になっちゃう。
お金で左右できない日常のちょっとしたいい事さえなくなって、駄目になっちゃう。

そう思うんですよ。宝くじなんて怖い。
ましてや小さな積み重ねでさえ、
運っていつかそれでなくなっちゃうもんじゃないのかなって、思うんですね。

「運が良くてなにか自分にプラスになることがあった」
自分がその運により少しでも喜んだりするというのは、
自分の持ってる運が減ってる、ということになると思うんですよ、つまりは。

で、この運というものは増える事は決してない。

減ったら減ったでもう、それ以上増えるものではない、そう思います。
例えるなら、図書カードみたいな、クオカードみたいな。
どうやったってそこにあらかじめ溜められてるものは増やせない。

増やせないから減っていくのみ。
減らさないためには、僕ら、なんとか運を使うのをスローにスローにしていかねば。




運がいいということは運が減っていく、ということはいいとして
じゃあ、
運が悪い、ということはどういうことか、と。
考えてみたくもなるでしょう。

「運が悪くて何か自分にマイナスになることがあった」
その場合って、あなたの理論だと容器に入った「運」はどうなるの?って、思う。

それももちろん僕は減るもんだと、思っています。

運が悪いにしろ、運がいいにしろ、運は使われる事で減っていくんだよ。
とにかく減っていく。どんどんどんどん使われる毎に減っていく。

極端に言えば大なり小なり、運は毎日減っている。















ガチャポン

そうだ、ガチャポンみたいなもんだわ。

さっきの棒みたいなやつは、ガチャポンの入ってる量だと思っていただければいい。

最初ッからガチャポン機の中には決まった数のカプセルが入っていて。
それを開けてカプセルを補充したりする事はできない。
中には大小さまざまの形をしたカプセルが入っていて、
そのカプセルの中には多くの「良い運」「悪い運」が入っている。

時と場合に応じてガチャポンの身勝手な意思で、カプセルは外へ出され、
良い運も悪い運も大きな運も小さな運も徐々に僕らの前に転がってくる。

転がってきたカプセル、開くのは自分の意志でも在れば、
目の前で勝手に開いてしまうときもあるでしょう。

人生はそれの繰り返し。
運は毎日そうして僕らの前に現れては、去っていく。

そしていつしか運は尽きてしまう。

運の尽きはいつか訪れる。







冒頭の休講的な運って、言ってみればすんごいちっちゃな運で。
こんな運で、自分の限りある運が減っていくのって、
すっごいね、

勿体無い気がするんだ。

悪い運とは、それは受け入れるべきだろう。
仕方ない、生きている限りは厳しい事たくさんある。
それを乗り越えて、また笑ってやろうじゃないか。

しかし日々の小さな幸せを生き甲斐にしてる人は、
こういったちょっとした運の良さですごい幸せな気持ちになるんだろう。
ガリガリくん食べて、当たりが出れば、
それはもう「ほんわかむっふー」な心地よさでうきうきしてしまうんだろう。
僕も同じである。
ちょっと運が良くて嬉しい事があると、「ラッキー」って、
とっても気分が良くなってしまう。
それは気持ちにも行動にも気持ちよい影響を運んでくれたりする。

しかし、運とは限りあるものだ!





「勿体無い、そんなちっちゃな喜びのために運がなくなるなんて、
M O T T A I N A I!
運が減っていく、そしてやがて運は尽きる!
そしたら良くも悪くももう、日常にちょっとした刺激をもたらすハプニングなんてものが、
一切起きなくなるんだぜ?」
 ―お笑い芸人・男



「どうせなくなるのだったら、
ちっちゃな運よりも、大きな運。宝くじくらいの大きい、運。
がっぽり日常を潤したい、その運で。
それはもう、夢のような日々が続くのなら、
運など尽きたって構わない。」
 ―洗濯屋・男



「願わくばそこそこ大きな運を。
ちょびちょびとちっちゃな運が何千個でるよりも、
その分おっきなカプセルが何十個かでてきた方が良い。」
 ―プロUNO選手・女



「小さな幸せの積み重ねが、人生に大きな虹を架けるのさ」
 ―ブロガー・男











きっとガチャポン機の中に入ってる、
それぞれの運のカプセルの大きさも人それぞれ、
決して平等ではありません。
すっごい大きな良い運のカプセルが一個だけどかんと入ってる人もいれば、
めちゃくちゃちっちゃいカプセルが100000000個ぐらい入ってる人もいるでしょう。

僕も願わくば理想は、
そこそこ大きくて良い運のカプセルが全部で4個ぐらい入ってればいいかな、
とも思ったんだけど、
なんてことない、普通のカプセルばっかだったよね、これまで生きてきて。
奇跡の休講を初めとして、
普通よりちっちゃいくらいのカプセルが、何百個ぐらい日々転がってきて、
いつの間にガチャポンの中を覗いてみると、
半分もカプセルはなくなっていた。

また未来へ向けて駆け出せば、
カプセルもその都度良くも悪くも転がってきて、
でいつか運は尽きるんだ、大きな運とは縁もないままに。

それでいいのさ。
それでいいのさ。

それでいいのさとしか言えない、
運はいつだって身勝手に転がってくるから。

僕が今まで生きてきて、
「アレは一番大きなカプセルが出てきたかな~」って思うのは、
小学校の時、金田一少年の事件簿のテレホンカードが当たった時だ。
オペラ座の怪人編のやつだ。
捨てた。
あとカレーについてる応募券集めて送ったらもらえた、
キャプテン翼君の南葛FCのユニフォームぐらいだ。
ちっちゃくて着れなかった。

捨てた。
アレ以来、大きな運にはめぐり合わない、良くも悪くもいつだって
ちょっとしたカプセルばかり。

どうか運よ尽きないでくれ。

       に出会うその日まで。

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コメン㌧もらっていいの?

運の尽き、っていうくらいだから一人あたりの運の量は決まってるんだろうとは思っていたけども
まさかガチャポンのような形態だったとは…
でもすごいわかりやすい。確かにそうなのかも。
ちっちゃい運を使っていくと、MOTTAINAIけどね。
もしかしたら、それが呼び水になって大きい運が転がり込んでくるかもしれないじゃないか!!
ね!
だから、休講もテレホンカードもユニフォームも無駄じゃなかったと思いこむんだー
捨てたことで何か大きな運を運んできてくれるんだと、思いこむんだよー!

ところでバイザウェイ、


ファビコンが!寅になってる!!!!


↑これが言いたかっただけ。

おコメン㌧を投げつける

 
スミタカストーンにだけ伝えたい
 

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Author:すみとん
頑張って生きてます。
■28歳になっちゃった
■正式名称はスミタカストーンっていうんだ
■うぇッ!・・・あっゲップしちゃった。
■埼玉県在住、人生迷走中
■「スミ㌧」とか「すみさん」って呼ばれてるよ。
■リンク・コメントはご勝手に!
■。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。ビォエェェェェェン!!
■思ってるよりも悪いヤツだよ。多分。






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